結婚したら妻一筋、かというとそうでもない

セックスに開放的だったとはいえ、それは独身のうちだけ。
一旦結婚してしまえば、その状況は一変しました。
しかし、「二夫にまみえず」と縛られていたのは女性だけで、男性は比較的自由があったようです。

男性はなぜ妻以外とのセックスが許された?

武家や大店と呼ばれる裕福な商家で最も大切なことはズバリ「跡継ぎ問題」でした。
武家では特に、子どもがいなければ御家断絶ということになってしまうのですから、切実です。
「三年子無きは去る」と言われたように、子どもを産めなければもちろん妻、嫁として認められることはなく、家父長制度の世の中に従い男の子を産むことが嫁に課せられた最重要任務だったのです。 しかし、めでたく男の子が生まれても今度は無事育つかどうかという新たな問題が浮上します。
なにしろ平均寿命が50歳にも満たず(江戸時代には30歳そこそこだったという説も)、乳児の死亡率もべらぼうに高かった時代のこと。
現代の発展途上国のように、5歳の誕生日を迎えられるのは50%程度だったというのですから、子どもは多いに越したことはない、という考えが出てきても不思議ではないでしょう。 そこで権力や財力のある武士や商人は側室(妾)を持つようになります。
正妻に子ができない、あるいは女の子ばかりだった時のために、なるべくたくさんの子どもを作ることはむしろ奨励されたと言われています。
歴史を見ても、男の子を産んだ側室が正室に取って代わったという話は珍しくありませんよね。

女性はどうだったのか?

このような理由で男性は相手が「夫のある女性」でなければ比較的浮気も許されていたようですが、女性はそうもいきませんでした。
儒教の教えに従い、夫に先立たれた女性は再婚もせず出家して尼になるか、生涯ひっそりと暮らすこととされていました。
もっとも庶民の間では離婚・再婚はよくあることで、江戸などでは女性が圧倒的に少なかったため、経験豊富な離婚経験者(今でいう熟女でしょうか)はとても人気があったそうです。 身分が高いのも女性にとっては良し悪しといったところでしょうか。

セックスは家の外に求めるもの?

売春は世界でも最も古い職業と言われています。
古代ギリシアにはすでに存在したとか…。
日本でも「万葉集」に遊行女婦(うかれめ)の記述が見られます。
ただし性を売り物にするようになったのは鎌倉時代以降のことで、太閤秀吉の命によって初めて遊郭が作られたと言われています。
吉原の花魁、嶋原の太夫などは庶民にとっては高嶺の花でしたが、遊女や夜鷹、湯女など、男性陣は遊び相手には事欠かなかったようです。
中には財産を食いつぶしたり、舞台の題材になるほど遊女に入れあげる男性もいたようで、そんなところは現代と変わりませんね。

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