明治の元勲と大正の軍人ではこんな違いが

明治維新後、西洋文化の到来とともに、日本古来の考え方は古い、時代遅れと一段下に見られるようになりました。
特に顕著だったのが性に関する意識で、キリスト教思想により婚前交渉は「ふしだら、不道徳」とみなされたのです。
しかし、それが浸透したのはごく一部の都市部だけで、地方の農漁村では相変わらず「純潔、それ何?」という状況が長く続きました。 夜這いの習慣も昭和30年代まで普通にあったそうです。
また、明治維新を推進した元勲たちも、決してセックスに興味がなかったわけではないようです。

伊藤博文、井上馨、女好きの元勲たち

初代総理大臣伊藤博文(中高年には懐かしい旧千円札のあの人です)は長州出身。
政治家としても人間としても、非常に「できた」人物だったと言われています。 ところが、その唯一の欠点が半端じゃない女好きでした。
ざっと数え上げても、朋輩の妹に始まって芸者、町娘、有力者の娘から花魁、人妻とはっきり言って見境なしです。
妻の梅子はもともと芸者ですし、結婚後も素人玄人に関係なく気に入ったら手を出しまくっていました。
噂になった有名どころでは下田歌子や岩倉具視の次女・極子、嶋原の桜木太夫、果ては敵であったはずの近藤勇の娘までいます。 また、正妻のいる家に愛人たちを伴って遊びに行くなんてことをしょっちゅうやっていたそうです。

井上馨も同じく長州出身で、薩長同盟のために奔走しました。
最初に馬関稲荷町の太夫を落籍しますが、すぐに別の娘に目移りしてあちこちで女性に手をつけるようになります。
玄人がお好みだったようで、正妻のかよ子も元芸妓の非常にしっかりした女性で、夫の浮気にも泰然と構えていたそうです。 晩年の井上馨が夢中になったのも20歳そこそこの芸妓でした。
人の好みとはそうそう変わるものではないということでしょうか…。

その一方で、こんな話も

明治天皇に殉じて妻とともに自刃して果てた乃木希典は日清・日露戦争において挙げた武勲から「軍人の鑑」「軍神」と崇められていました。
のちに学習院の院長となり、幼い昭和天皇の尊敬とあこがれを一身に集めたことでも知られています。
そんな乃木希典は、妻・静子を抱く時、「子孫のためじゃ、許せよ」と言った、という逸話があります。
また、静子はセックスの際の女性の心得として「声を出してはならぬ」「自分からキスをしてはならぬ」など、要するにマグロであれと婚礼を控えた娘に書き送っています。 明治の元勲の好色ぶりと比べたら、夫婦の営みも何だかあまり楽しくなさそうですね。

こうして見ると、日本でセックスがタブー視されるようになったのは明治後半から大正にかけてのことのようです。
それから昭和50年代頃まで続くわけですが、長い歴史の中ではほんの短い期間だったことがわかりますね。

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